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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)3847号 判決 1961年1月18日

原告 国

訴訟代理人 村重慶一 外四名

被告 永代信用組合

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告指定代理人は被告は原告に対し金八七四、一〇四円及び内金七六三、一五七円に対する昭和三五年四月一日以降支払済まで年六分の金銭を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を

被告訴訟代理人は主交と同旨の判決を

各求めた。

第二、当事者双方の事実上の主張

一、原告指定代理人の請求原因

(1)  原告の訴外太陽商事株式会社に対する国税債権

訴外太陽商事株式会社(太陽商事と略称する)は昭和三二年一〇月二一日当時別紙第一目録記載のとおり国税金二、〇六八、四九〇円を滞納していた。(なお昭和三五年三月八日現在における滞納額は別紙第二目録記載のとおり二、〇四四、五二二円である)

(2)  原告太陽商事が被告に対し有する預金債権の差押

太陽商事は昭和三二年一〇月二一日当時被告に対し別紙第三目録記載のとおり金一、二六三、一五七円の預金債権を有していたので、原告の収税官吏である荒川税務署長は右日時前記滞納国税を徴収するため、国税徴収法に則り右預金債権を差し押え、同日午後四時四〇分差押調書が作成され即時被告に債権差押通知書により通知がなされた。

よつて同法第二三条の一に基づき太陽商事に代位し預金の払戻請求権を取得した。

(3)  払戻債権の内訳

被告は太陽商事に対する反対債権と相殺したと称するが、原告はその反対債権の内右差押当日を支払期日とする約束手形による貸金債権五〇〇、〇〇〇円の相殺を認め、その法定充当により別紙第三目録記載の(5) ないし(9) と(10)の内二八二、〇〇〇円、(11)の内九四、〇〇〇円の各元本債権は相殺により消滅した。

したがつて残る預金債権は次のとおりとなる。

(イ) 七六三、一五七円(元本)

前記第三目録から相殺により消滅したものを除いたもので第四目録上段金額欄記載の元本額

(ロ) 一、七九一円(約定利息)

差押当日から支払期日までの約定利息で第四目録利息欄に記載のとおり

(ハ) 一〇九、一五六円

(イ)の元本に対する支払期日の翌日から(但し差押当日までに支払期到来の第四目録記載の(1) ないし(4) 、(10)、(11)については差押日以降)昭和三五年三月三一日までの商事利率年六分の遅延損害金

以上(イ)(ロ)(ハ)の合計八七四、一〇四円と(イ)の元金に対する同年四月一日以降完済まで同率の遅延損害金の支払を求める。

二、被告の答弁と抗弁

(1)  原告主張の

一、(1) の事実は不知

一、(2) の事実は認める。但し基本の権利である国税債権の存在がわからないので、預金債権の取立関係はわからない。

一、(3) の事実中五〇〇、〇〇〇円の相殺は認めるが弁済充当は認めない。

(2)  抗弁(仮に国税債権が存在し、代位により国が預金債権の取立をなし得るとしても)

(イ) 被告は太陽商事と昭和三二年四月二二日手形取引契約を結び、同商事に対し手形借入又は手形割引に応じて出金したときは、手形又は貸金債権の何れによつても請求ができること、太陽商事が他の債権者から仮処分、差押又は仮差押を受けたとき或は太陽商事において債務を履行しないおそれあると被告が認めたときは、右取引に基づく太陽商事のすべての債務について弁済期が到来したことになると共に、他方太陽商事の被告に対する当座預金その他の債権は弁済期日の約定に拘らず被告において期限の利益の放棄により、両者の債権債務は相殺適状となり、被告は通知又は催告を要しないので任意に相殺することができること、及びこの相殺をなした場合に太陽商事の被告に対する債務超過のときは弁済充当の順位方法等はすべて被告の定めるところとすること等を協定した。右協定に基づき被告は太陽商事に対し原告主張の差押以前に貸付をなし、その差押当日現在次の約束手形による貸金債権を有していた。

(a) 金五〇〇、〇〇〇円 貸付日昭和三二年七月五日 弁済期同年一〇月二一日

(b) 金三〇〇、〇〇〇円 貸付日同年四月二二日 弁済期同年一一月一四日

(c) 金一、〇〇〇、〇〇〇円 貸付日昭和三二年一〇月二日 弁済期同年同月三一日

一方太陽商事は右差押当日現在被告に対し原告主張のとおり別紙第三目録記載の預金債権を有していたが右は太陽商事が現実に出金したものでなく被告からの貸付金の一部を取引上の債務の担保として預金したもので、これに質権を設定していたものである。

(ロ) ところが原告主張の差押当日荒川税務署の収税官吏月原進が被告の足立支店に来店し、太陽商事の預金債務の調査を開始したので、被告は同商事が税金を滞納したため差押の準備がなされているものと察知し、直ちに同商事において借入金債権を履行しないおそれがあると認めた。

したがつて原告の差押以前に又はそれと同時に前記協定により右太陽商事の預金と被告の貸付金の各債権は、全部相殺適状となつたわけである。

よつて被告は同日午後五時頃右貸付金の(a)、(b)と(c)の内四六三、一五七円の合計一、二六三、一五七円と原告主張の第三目録記載の預金債務とを対等額において相殺する旨の意思表示をなし、その通知はその頃太陽商事に到達し更に同月二四日右の相殺をなした旨を荒川税務署長に郵便で通知し、その書面は翌二五日到達した。右相殺により原告主張の預金債権は前記弁済充当の協定に基づき全部消滅した。

仮に右相殺による適状が差押後に生じたと仮定しても被告の自働債権が原告の差押前に取得したものであること前記のとおりである以上相殺をもつて差押債権者(原告)に対抗し得るものであり、差押当時自働債権の弁済期が到来していることまでは必要でない。(東京高裁昭和三五、三、三〇、同年五、三〇、各判決参照)

原告が差押による代位によつて取得した預金債権は前記のように相殺予約に基づく制限付の権利であつて、かかる制限が差押によつて排斥され、本来の権利(太陽商事の預金債権)よりは有利な、相殺予約に拘束されない権利となる理由はない。民法はたゞ差押の場合について第五一一条に差押後に取得した債権を自働債権とする相殺をもつて差押債権者に対抗できないとの制限を設けているに過ぎないし、滞納税金に基づく差押の場合に、この点について国税徴収法は別段の規定を置いていない。そして被告の主張する相殺予約は債権者の平等主張を破るものでも、また執行免脱約款でもないから公序良俗に違反するものでもない。

したがつて被告が差押後になした相殺をもつて原告に対抗できるわけであるから原告の請求は失当である。

三、原告の右相殺の抗弁に対する主張

被告主張の(2) 、(イ)、の事実は認めるが質権は差押債務者たる原告に対抗できないものである。

(2) 、(ロ)、の相殺の意思表示と通知の点は認めるが、相殺適状は差押後に生じたものである。

被告主張の相殺は次の理由によつて差押債権者である原告に対抗できないものである。

(1)  第三債務者が債権差押後の相殺をもつて差押債権者に対抗できるのは、第三債務者の執行債務者に対する自働債権が差押前に取得されたものであることで足りるものではなく差押当時その弁済期が到来していることを要するものである。何となれば債権差押によつて執行債務者は債権の取立を禁止され、第三債務者は支払その他債権が処分される結果の招来を禁止されているから、第三債務者が差押後の相殺をもつて差押債権者に対抗できるのは差押当時相殺権を有するか、これを有すると同一の場合(自働債権の弁済期が既に到来していた)に限られると解すべきである。そうでなければ差押後に生じた第三債務者の権利によつて差押制度は根底から覆えされることになるからである。

(2)  民法第五一一条は差押後に取得された反対債権による相殺を禁止しているが、差押前に取得した反対債権による相殺の許否は相殺制度の本旨と差押の性質に即して解釈により決すべきである。相殺制度は相対立する債権債務の簡易合理的な決済方法であつて、当事者の意思を尊重し、公平を図るものであるが、その要件の一つとして相殺適状にあることを要する。したがつて履行期未到来の債権については当事者は単に将来法的障碍が生じなければ履行期到来と共に相殺をなし得るという事実上の期待を有するに過ぎない。ところがその間に差押がなされたときはその後に相殺適状が生じても差押債権者の差押による法的地位の取得という新しい事態による障碍のために相殺をなし得る期待は停止され、差押債権者の権利を害するような相殺を主張することは許されないわけである。

(3)  被告主張の相殺予約の特約は差押後に相殺できるように作為したものとしか考えられないところであるが、その主張するような一定の事由により弁済期の到来を擬制するものに外ならない。しかしかかる擬制は破産法第一七条、第九九条のように法の明定した場合に限つて許されるものであつて、特約によつてなし得るものではなく、また差押後に他の債権者を排して優先弁済を受けることを目的とするものであるので、債権者平等主義を破り、且つ執行免脱約款であるから公序良俗に反する無効のものといわなければならない。

かかる特約に基づく相殺は相殺制度の限界を破るものであつて優先弁済を認めることになり物権法定主義の精神にも違反する無効の特約というべきである。

(4)  被告は荒川税務署員が預金債権の調査を開始したときに太陽商事において債務を履行しないおそれがあると認めたというのであるが、かかる認定に関する意思表示がなされた形跡は何もない。そして被告の主張するように通知、催告を要しないで期限の利益を剥奪し得るというのは、債務者の内心によつて第三者の利益を害することを許す結果となり法律関係を不安定にすること甚しいものであるから、この点に関する期限の利益剥奪の特約は第三者に対抗できる有効のものとは認められない。したがつてその特約の効力を主張するためには期限の利益剥奪の意思表示を要するものというべきである。かかる意思表示のなされない本件では差押前に弁済期が到来したことをもつて差押債権者たる原告に対抗できないことは明らかである。

第三、証拠関係<省略>

理由

原告が昭和三二年一〇月二一日当時太陽商事に対しその主張の国税債権を有していたことは、正しく作成されたものと認むべき甲第一号証の記載によつて認められる。そして原告主張の一、(2) の事実は被告の認めるところである。したがつて原告は差押にかかる債権について、国税徴収法第二三条の一、第二項により太陽商事に代位することになつたものというべきである。

よつて相殺の抗弁を判断する。

被告が抗弁として主張する(2) 、(イ)、の事実及び(2) 、(ロ)に主張する相殺の意思表示とその旨の通知を荒川税務署長になしたことは原告の認めるところである。

ところで原告は前記のように国税徴収法により太陽商事が被告に対し有する預金債権について、原告主張の滞納税金の限度において代位することになつたので、右差押債権の取立権を取得したわけであるが、この取立権は単に太陽商事の有する権利を行使し得るにとどまるから第三債務者の有する適法な相殺の制限に服するものと解すべきである。

もつとも差押を受けた債権者は差押によりその債権の処分権を喪失するから、第三債務者が差押債権者に相殺をもつて対抗するには、その意思表示は差押債権者に対してなさるべきであり、この理は本件のような国税徴収法に基づく債権差押の場合にも異るところないものというべきであるので、被告が太陽商事に対しなした相殺の意思表示は原告に対抗し得ない筋合であるけれども、被告が国の機関である荒川税務署長に対する相殺をなした旨の通知には同署長に相殺を主張する趣旨即ち相殺の意思表示をなす趣旨を含むものと解し得られるから差押債権者である原告に対する相殺の意思表示がなされたものということができる。

そして前記当事者間に争のない被告と太陽商事との間に締結された取引に関する協定によれば太陽商事が地の債権者から差押を受けたときは右取引に基づく同商事のすべての債務について弁済期が到来したことになると共に、同商事の被告に対する当座預金その他の債権は弁済期の約定に拘らず期限の利益の放棄により相殺適状となり被告は通知又は催告を要せず任意に相殺をすることができる旨特約しているので、右は相殺予約の特約と解されるところであるが、原告のなした差押によつて被告の太陽商事に対する貸付金債権と太陽商事の被告に対する預金その他の債権はいずれも同時に弁済期が到来し相殺適状になつたものというべきである。なお被告主張の(a)の五〇〇、〇〇〇円の貸付債権の弁済期は差押と同日であつて、これを自働債権とする相殺によつて差押債権が消滅する関係にあることは原告の認めるところである。

ところで右相殺適状は、差押を受けたときとする契約をなした当事者の意思は差押と同時とする趣旨に解せられないではないけれども、差押の前でないことは明らかであるので、理論上は差押の後に生じた場合と変りはないわけである。

被告は原告の収税官吏が太陽商事の被告に対する預金債権の調査を始めたときに同商事において債務を履行しないおそれがあると認めたので、協定に基づき差押前に同商事に対する債権の弁済期が到来したことになると主張するけれども、差押債権者その他の利害関係人に対する関係において債務者の内心により自働債権の弁済期が到来するとすることは法律関係の安定性を著しく害すること明らかであるので特約に基づく弁済期到来を主張し得るためには別段の意思表示を要するものと解すべきところ、かかる意思表示のなされたことの主張のない本件では差押前に相殺適状が生じたとの点に関する被告の主張は理由のないものというべきである。

右事実によれば、被告は弁済期未到来の債権(受働債権)について差押がなされた後この債権と自働債権との弁済期が到来して相殺適状となり、その後になされた相殺予約完結の意思表示による相殺をもつて差押債権者に対抗するものであるが、被告の自働債権の取得は差押前のものであるので、かかる自働債権の取得は差押前のものであるので、かかる自働債権をもつてする相殺は差押は差押債権者に対抗できるものと解するのが相当である。(同旨東京高裁昭和三五年五月三〇日判決同裁判所判決時報一一巻五号)をもつとも原告の主張によれば別紙第四目録(10)、(11)の定期貯金二四、〇〇〇円は差押当時弁済期が到来しているが、この受働債権についても右と結論を異にしないものというべきである。(最高裁昭和二七、五、六、判決参照)けだし差押債権を受働債権とする相殺は民法第五一一条の制限があるに止まるから、差押以前から存在する自働債権をもつてする相殺には法文上別段の制限はないわけであり、原告主張のように自働債権の弁済期が差押当時到来していることが差押債権者に対抗し得る相殺の要件であると解すべき合理的根拠はないと考うべきだからである。

即ち受働債権の債権の差押は、差押の結果処分の禁止という効力を生ずるけれども、その代位による取立権は国税徴収法によるものであつても受働債権自体の権利行使に外ならないものであるから、差押によつて民法第五一一条の制限以上に当然有利な権利となるものとは考えられないところであり、また本件の受働債権は金融機関たる被告が手形取引契約に基づく貸付金債権の回収の確実性を期するために、これを自働債権とし相手方の有する預金債権を受働債権として相殺の予約をなしたものであるから、元来相殺の負担を負つているものなのである。したがつてかゝる場合差押後の相殺によつて差押債権者に対抗し得るとすれば、差押債権者は期待に反し利益を害される結果となること勿論であるが、このような結果を許すかどうかは結局差押債権者と差押当時既に二反対債権を有していた第三債務者とのいずれを保護するのが公平妥当であるかとの法解釈に帰着するわけである。

ところで差押債権者は相殺の抗弁権を対抗される危険のある債権の差押をなし、その債権の取立をなすものであるので、かかる危険のある債権を行使する差押債権者が差押の一事によつて、右の危険を免れ、その反面相殺によつて債権の回収の確保を期待した債務者の相殺予約完結権を奪うことは相殺制度の趣旨に照らし公平妥当とは認め難いところである。

この理は自働債権の弁済期が差押当時以前に到来していない場合にも異るところないものと解すべきである。

次に原告は被告の主張するような相殺予約は公序良俗に反する無効のものと主張するけれども、金融機関たる被告が手形取引契約に基づく貸付金の回収を確実ならしめるために相手方の予金債権から優先的に弁債を受ける手段として相殺制度を利用し、これがため他の債権者の利益が害される結果となつてもやむを得ないところであつて、かかる相殺又は相殺予約の特約が執行免脱を目的とする不当のもので公序良俗に反する法律行為というに足りないところである。

してみれば被告の主張するように相殺によつて被告主張の預金債権は消滅したものというべきであるので、原告の請求は失当として棄却を免れない。

よつて民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数)

第一目録ないし第四目録<省略>

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